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英語が苦手な主婦のアメリカでの子育て奮闘記


by Bocce
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グリーンカード

去年の1月に申請したグリーンカードがやーっと届きました!
1年もかかるなんて、フロリダの移民局はのんびりしすぎだよ~。
今月に入って、「あなたの申請が承認されました。新しいカードは60日以内に届きます。」といった内容の手紙が届いたので、カードが届くのにまた2ヶ月はかかるのかなぁと思っていたら、カードはそれから1週間もしないで届きました。
2008年に申請したけど承認されたのが2009年なので、カードの有効期限は2019年でした。
2019年には息子も10歳になってるし、その頃私はどこで何をしてるんでしょうね?
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by bocce | 2009-01-19 18:31 | アメリカ生活

母乳不足

女の悩みは尽きません。
独身のときは一生一人かもと悩み、結婚したら赤ちゃんが出来なくて悩み、赤ちゃんが生まれたら今度は母乳問題です。

息子は黄疸がでたので、早々に母乳とミルクの混合になり、ミルクをたっぷり与えていました。
私が出産した病院は母乳育児を奨励していて、入院中に母乳指導の看護婦(ラクテーション・ナース)が来て指導してくれたり、退院後も電話で相談に乗ってくれます。
彼女曰く母乳とミルクの混合の場合は、赤ちゃんがミルクの方が簡単に飲めるので母乳の吸いつきが悪くなるから、家に帰ったら授乳の後は片方15分ずつの搾乳をするように言われました。
私が持っていた搾乳機はシングルの電動式なので、両方搾乳するのに30分かかります。
初めて搾乳したときは30分やって小さじ1杯分しか出ませんでした。
小さじ1杯がやがて大さじ1杯になり、そして10mlになりましたが、多いときでも20mlしかでません。
黄疸も治って、母乳100%に切り替えたいのですが、母乳がこれしか出ないから切り替えることも出来ません。

小児科医は私を慰める為に「産後1週間でこれしか出ないなら、母乳が出ないかもしれない。でも、母乳が出ないからって悪い母親って訳じゃないから。」と言いました。
その言葉で私は深く傷ついて、病院で泣き出してしまったくらいです。
旦那も「自分もミルクで育っているし、ミルクで育てても問題ない。」と言います。
慰める為に言ってくれている言葉だとは分かるけど、母乳が出ないことを前提で言われているので、ひどく傷つきました。

ラクテーション・ナースに電話して相談すると、搾乳を1日8~10回するように言います。
搾乳機はダブルの方がいいというので買いに行きました。
それでも1日5~6回の搾乳が精一杯です。
旦那は私が落ち込んでいるのを気にしてくれて、搾乳の度にどれだけ出たか聞いてきます。
それがまたプレッシャーで益々私を落ち込ませます。
ラクテーション・ナースの有料の個人指導を受けに行き、実際に息子がどのくらい母乳を飲んでいるのか飲む前と後で体重を量って調べてみると、たったの20mlでした。
彼女の指導はミルクを徐々に減らしていき、やがて母乳100%にするというものでした。
授乳の後に60mlあげていたミルクを45mlに減らして2~3日、30mlに減らして2~3日、15mlに減らして2~3日、で母乳100%に出来ると言うのです。
ミルクを減らした分は母乳で補うので、母乳の回数を増やして、ミルクの回数は1日8回まで。
そんな速いペースで母乳が出るようになるのか聞くと、「なります」と言います。
そして、1日5~6回の搾乳は続けるよう言われました。
60mlのミルクでも足りなかった息子は、ミルクの量を減らされて大泣きします。
1時間ごとに授乳しなければならないこともしょっちゅうありました。

母乳不足で悩んでいる私に、友達のCさんが日本で長年助産婦をしていたKさんを紹介してくれました。
Kさんは私の胸をチェックして、手で搾乳して母乳の出具合を見て、母乳の出は少ないけどお乳には問題がないといいました。
その時搾乳できたのは40ml。出産から約4週間が経過していました。
彼女は私の出産時の状況、その後の生活状況などを聞き、「出産時にそれだけ出血していて、その後ずっと睡眠不足だったら母乳が出るわけが無いですよ。2日間ミルクだけにしてお母さんに赤ちゃんをお願いして、とにかく寝てください。」と言いました。
それまで、ラクテーション・ナースも本もインターネットの情報も授乳回数を増やすことが重要だといっていたので、衝撃的なアドバイスでした。
そして、1回に与えるミルクの量は一気に120ml。
試しに息子に飲ませてみると、途中一回休憩したものの120ml飲み干し、ぐっすり眠ってしまいました。
今までなかなか寝てくれなかったのは、やっぱり空腹のせいだったようです。

それまでラクテーション・ナースに言われた通りにしていたので、私は毎日寝不足でした。
両親が日本から手伝いに来てくれましたが、頻繁に授乳して搾乳もしていたので、昼寝をする時間なんかありませんでした。
それに、息子は昼夜が逆転していて、明け方にならないと眠ってくれません。

Kさんのアドバイス通り2日間授乳をしないで睡眠をとったら、初めて胸が痛くなるくらい張ったのです。
そして、夜なかなか寝ない息子も、たっぷりミルクを飲んで、少しは眠るようになりました。

ラクテーション・ナースが私に言った指導法で母乳が出るようになる人もいますが、私の場合は違ったようです。
今でも母乳とミルクの混合ですが、ちゃんと睡眠を取ったので、以前ほど落ち込んだりしなくなりました。
混合でも息子が健康ならと思える、気持ちの余裕もでてきました。
もちろん、母乳100%の努力は今後も続けますが・・・。

Cさん、Kさんを紹介してくれてありがとう。
それがなかったら、産後ノイローゼになってたかも。
Kさん、的確なアドバイスをありがとうございました。
今度もなにかと相談に乗って下さい。
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by bocce | 2009-01-14 17:14 | 家族

黄疸

アメリカでは産後2泊しか入院しません。
1泊で退院してしまう人もいるくらいです。

退院する日の朝4時に息子は検査に連れて行かれ、黄疸が出ていると診断されました。
ちなみに、午前4時に連れて行かれたときには、もしかしたらあの看護婦は偽物で、連れ去られたんじゃないかと心配しましたが(苦笑)。
部屋に機械が運び込まれて、光線療法をすることに。
息子は目を保護する為のゴーグルを嫌がって、はずそうと必死なので、はずさないように常に見張ってなくちゃいけませんでした。
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黄疸が出ているときは、どんどんミルクを飲ませて、どんどん排出させなくてはいけません。
母乳で育てようと思っていましたが、仕方なく母乳とミルクの混合に。
夕方になって数値が少し下がったと言うことで、なんとか親子で退院。
しかし、翌日必ずラボ(研究所)へ行って血液検査することと、小児科に行くようにと言われました。
かわいそうに、息子は生後3日であちこち連れまわされることに・・・。

午前8時に指定されたラボへ行くと、私達の保険は別のラボじゃなきゃ適用されないということで、別のラボへ行かされ、その後10時半に予約した小児科へ行くと、その検査はうちでもやれるのに何故ラボへ行ったのかと言われました(苦)。
ラボに連絡を取ってもらうと、まだ検査結果はでていないということなので、小児科でまた同じ検査。
赤ちゃんの血液検査は踵から血を採るので、息子の踵は傷だらけです。
1時間以上も待たされて、後どのくらい待つのか聞くと、結果は電話で知らせるから帰っていいとの事。
だったら、もっと早く帰してくれればいいのに・・・。
小児科へ着いてからすでに3時間が経過していました。

数時間後、小児科から電話があって、黄疸がでているので光線治療が必要との事。
すぐに貸出し用の機械が家に届けられるよう手配されて、夕方には届きました。
機械を貸出して自宅で治療できるようにしてくれるなんて、これはアメリカのいいところだなぁと思いました。
しかも、毎朝看護婦さんが自宅に来て採血して、検査結果を電話で知らせてくれます。

貸出し用のは青い光線のでるシートを背中にあてます。
このシートは1日中ずっとあてっぱなしにしなければなりません。
シートと機械は太い灰色のチューブでつながれているので、息子は灰色のしっぽの生えた蛍のようでした。
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3日間自宅治療をして、やっと数値も下がりました(笑)。

ところで、私は出産の為に3泊入院しましたが、その費用がものすごかったです。
なんと、$11,504.75。
アメリカでは出産は保険が適用されるので、実際に私達が払った金額は$500でしたが、保険無しで出産するのは無理ですね。
つくづくアメリカの医療費は高いなぁと思いました。

追記: aikoちゃんの指摘通り、請求書は何通も来て、合計金額は$17,365.75でした。
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by bocce | 2009-01-09 13:40 | 家族

出産

女も30代になると婦人科系の病気やトラブルが増えます。
今回無事に妊娠・出産するまで、私もトラブルを抱えた一人でした。
今まで健康診断で引っ掛かったこともなく、健康で運動もしているし、体力年齢も20代をキープし続けていたので、妊娠・出産にこんなに苦労するとは思いもよりませんでした。

実は過去2回流産して専門医にも通っていたので、妊娠初期は喜びよりもまた流産するんじゃないかという不安の方が大きかったです。
妊娠期間はものすごく長く感じられて、1日も早く無事に出産して安心したいと思ってました。

臨月に入ると、子宮口が2cm開いて、ドクターが「11月中に生まれるかも」なんて言うので、それからは今日生まれるか今日生まれるかと気が気じゃない日々。
出産した友達は「臨月はあっという間に過ぎちゃうわよ」と言っていたけど、私にとってはめちゃくちゃ長かったです。
予定日の2週間前には子宮口が3cm開いていたのに、結局予定日になっても陣痛は来ず、陣痛促進剤を使って計画出産をすることにしました。
旦那は、私の体なので私の意見を尊重したいと言いつつも、なぜ自然に陣痛が来るまで待てないのか納得がいかない様子・・・。

計画出産の日は満月だったせいか、分娩室の空きがなくて、午前7時からずっと空室待ち。
夕方になってやっと午後7時半に病院へ来るように言われました。
しかし、病院に行くと空室は埋まってしまって、待合室で午後9時まで待機。
あまりにも長い間待ち続けたので、旦那の気持ちがぐらついて、分娩室に入るなり揉めることに・・・。
私は泣きながらなぜ計画出産を選んだのか訴え、旦那はその時初めて私がそこまで精神的に切羽詰っていたことを知ったそうです。
それまでも旦那にちゃんと話していたと思ったけど、どうも私は暢気にみえるのか追い詰められているようには見えなかったらしい・・・。
看護婦さんに「あなた達、ちゃんと話し合ってなかったの?」とあきれられ、ドクターに電話してもらって旦那と話をしてもらい、ようやく陣痛促進剤を使うことに。

子宮口が4cm開いたので、夜中に麻酔医が無痛分娩の麻酔(エピドラル)をセットしに来ました。
エピドラルを使うと眠くなるので、少し寝た方がいいと言われ、陣痛促進剤とエピドラルを注入されたまま少しウトウト・・・zzz。
両足がしびれて感覚がないし、陣痛が来ているものの痛みが全く感じられないので、麻酔が効きすぎじゃないかと心配になり、明け方エピドラルの量を減らしてもらいました。

その後、子宮口は4cmのまま開かず、午前8時にドクターが来たときに人口破水をすることに。
人口破水をすると子宮口は7cmに開き、いきなり強い陣痛が!
エピドラルの量を上げようとボタンを押すけど、1回押すと次は15分後にしか押せない仕組みになっていて、痛いのなんのって。
エピドラルを使ってあれだけ痛かったから、普通のお産に耐えている日本人母は強い!
そうこうしているうちに子宮口も10cm開き、お産するからもうエピドラルの量を上げちゃ駄目だと言われました(苦)。

何回いきんだでしょう?
私にとってはものすごく長い時間に感じられ、途中で何度も「もう無理」と思いながらも、ドクターと看護婦さんに励まされ、午前11時37分になんとか出産できました。
旦那曰く40分ぐらいだったそうです。

ちなみに、旦那は血を見るのが大の苦手で、彼の予想ではお産の様子はカーテンの向こう側で見えないはずだったのに、カーテンがなくて驚いたそう(苦笑)。
なるべく見ないようにしつつも、大量の血を見る羽目に・・・。
しかも、私は普通よりも出血が多かったらしいです。
ドクターにへその緒を切るか聞かれたときには、絶対に無理と断っていました。
なので、出産中に旦那がかけてくれた言葉といえば「生まれたぞ! 目を開けろ!」くらいかな?

長時間エピドラルを使っていたせいか、なかなか自分で足を動かせるようにならず、分娩室から入院室への移動は車椅子でした。
ベッドに寝かせられて少しすると、大量に出血!
すぐに看護婦さんを呼んで、看護婦さんが血で汚れた産褥用ナプキンと防水シートを交換している間に、今度はボコボコと血の塊が何個も出てきました。
他の看護婦さんもすぐに呼ばれて、4人がかりで、点滴、導尿、検温、血圧測定。
その後も出血と血の塊は出続け、担当の看護婦さんは「一体この小さいお腹のどこに、そんなに大量の血が入っているの?」と言って、何度も何度もナプキン、防水シート交換に来てくれました。
翌日の夕方まで点滴、導尿と3時間おきの検温、血圧測定。
ベッドから一歩も動けず、おかげでかわいい息子の写真は全く撮れませんでした。
もちろん、旦那も心配で疲れ果てて、ほとんど写真を撮ってくれてなかったし・・・。
おかげでこんな写真しかありません(苦笑)。
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by bocce | 2009-01-08 11:39 | 家族